教員紹介

米英コース / 小原 文衛准教授

小原 文衛准教授
米英コース
小原 文衛 ( KOHARA Bunei )

研究領域
精神分析批評、アメリカ映画、アメリカ映画

【研究内容やゼミの内容】

 映画や文学の「深層」に何が隠されているのか、という問題にとても興味があります。私の専門はもともと、英米文学作品の読解、特に怪奇物語の解釈でした。幽霊とか吸血鬼とか、おどろおどろしいモチーフばかり扱ってきましたが、それは単に怪奇なものに魅かれているためだけではありません。「死者」とか「不死者」といったテーマの背景には、実はとても人間的なテーマが隠されていると思うのです。例えば、吸血鬼は別名「死者」とか「アンデッド」とか呼ばれます。吸血鬼が不死者と呼ばれる理由は、そもそも彼らがすでに一度死んでしまっているからなのです。死者は死なない(あるいは、簡単には死なないから、特別な方法が必要になる)。この論理は、ウィーンの医師であったジークムント・フロイトが創始した「精神分析」の考え方にとてもよく似ているのです。 精神分析には「喪の仕事」という考え方があります。この場合、「仕事」という語は心の中の営み、あるいは心的なプロセスのを指します。死別などの悲痛な体験(対象喪失)の後、人間はその対象を失ったということを頭(意識)では理解しているのですが、心(無意識)はなかなかそれを理解できません。だから、本当に対象がいなくなってしまったことを心が納得するためには何らかの心的過程が必要になります。嘆き悲しむこともそうです。繰り返し喪失対象との関係性を思い出すこともそういう心の営みの一つです。フロイトが言いたかったことは、吸血鬼文学と同じように、「死者はなかなか死なない(死なせられない)」ということです。ただし、どうすれば喪の仕事を終えられるのか、ということについて、フロイトもはっきりとした答えを用意することはしませんでした。

 そこで、私たちは、再び文学に立ち戻ってその力を借りることになるわけです。生者が死者である吸血鬼を追跡し、最後にはとどめを刺す吸血鬼物語を詳しく読み直すことで、「喪の仕事」について、多くの知識が得られるはずだからです。実は、使っている「ことば」が違っているとはいえ、文学作品が、さらには映画作品のような「物語」が、精神分析が相手にしていることと同じようなことについて「語っている」あるいは「考察している」場合があるのです。「精神分析批評」というかたちで映画や文学と精神分析のテクストを横断的に研究すると、単に精神分析のテクストを読んだり、単に文学作品だけを読んだり、単に映画を観たりしているだけでは、決してわからないことを可視化することができるというわけです。

 近年の私は、文学作品の解釈・読解の経験を土台にしながらも、研究領域を映画の分析に絞り、「欲動」という概念の研究に着手しています。この欲動いう概念は、フロイトにとっては、「理解不可能だが不可欠」という意味では彼の理論にずっとついて回った概念だと言えます。また同時に、人間にとっては、自分でも制御できないしよく分からないものだが、「逃げ切れない」からこそ身体の中から来るものと認識されるのが欲動です。

 実はこのような精神分析の体系における欲動概念の位置づけは、ハリウッドのある時期に多数出現した「追跡者」の、物語における位置づけと似ているところがあります。これらの追跡者も、「よく分からない敵」ですが、主人公はこの敵にずっと「追われ続ける」のです。このような追跡者の代表的例が『ジョーズ』のサメだと、私は理解しています。2013年に発表した論文「JAWS (1975)の〈欲動論〉」では、この映画に登場するサメと「精神分析理論」の欲動が、それぞれが属する物語と理論体系のなかで同じような位置づけをされ、同じような機能を果たしているという仮説をもとに、両者のテクストを重ね読みして、新たな欲動理解の可能性、ひいては『ジョーズ』の新たな理解=読解の可能性を模索しました。単に欲動理論で『ジョーズ』を読み解くというのではなく、むしろ、『ジョーズ』におけるサメのあり方を詳細に分析することで、欲動という概念を理解するための手掛かりを得ようというのが狙いです。

 私のゼミでは、やはり映画と精神分析の関わりをテーマにする学生さんが多いのですが、ハリウッド映画がベトナム戦争以後とポスト9.11の時代に果たした役割の研究、日本の歴史学的な問題を精神分析的な視点から考察する研究、音楽のジャンルと思想的な問題の関わりを扱う研究、ハリウッドの60年代から70年代の動向を純粋に映画史的な視点から辿る研究、映画を観るとき生まれる「本当」という感覚の成立条件についての体系的な研究など、多彩な研究がおこなわれています。ただし、基本的な姿勢として、私たちを取り囲むありとあらゆる事柄が「読み物=テクスト」であり、その深層には未だ誰も到達しえない「知」が隠されている、という考え方が皆に共有されております。